線を引く[独り言]

線を引く

少し前、お仕事提出した際にお客さんからお褒めの言葉を頂戴したんですが、それが「線が生きてますねー。」というものでした。なんかその言葉、久方ぶりに聞いたなあ、と懐かしく昔を思い出しました。

私が駆け出しの頃、務めてたデザイン事務所の師匠にイラストの駄目出しされる度によく言われてた言葉、「線が死んでる。」

・・・当時は何の事やらサッパリでした。どゆこと?生きた線?死んだ線?なんのこっちゃ?!とずいぶん悩んだもんです。なんだか、ササッとスピードつけて勢い良く描けば生きた線になんのかな?なーんて思って、ピャッピャッピャーッとやたら素早くペン走らせたりしてましたね。単純そのものですな。

まあ、確かに勢い良く走ってる線はキレイに見えるし、力を感じるし、生きてると言えるような。でもビリビリ震えながらゆるゆると引っ張られてても生きてる、と言える線も確かにあります。その答えを特に突き詰めることもなく20年が経ちましたけど、今、この文章書きながら漠然とですが、自分の中でその答えらしきものが見えかけてるのかなあ、と思いました。

───結局、線そのものには答えはないように思うんですよね。問題はその線で何を描くかということに尽きるんじゃないかな?と。
如何に目的に向かって、迷わず焦らず自信を持って線を引っ張れるか、というところにかかってるんじゃないのかな?・・・と。

もちろん、誰でも普通、何かを描こうと目的を保ってペンを走らせるわけなんですけど。・・・例えばカエルでも描くとしましょうか。普通は写真やイラストを見ながら、あるいは過去に見た写真やイラストで見たカエルの絵を漫然と思い描いて、たどたどしくペンを走らせるんでしょうが、そうではなく、どれだけ自分のカエルというものを強く心の裡に保ち、その像を追ってペンを走らせられるか、ということに尽きるんじゃないかな、と思います。

自分の中にはっきりと理想や目的があるからこそ、ピャッと引こうが、ゆっくり引こうが、線は迷う事なく自信をもって引っ張られていくというわけで、そうやって描かれたカエルにはその人の強い意志が表れているから、立ち返って線にも意志が宿り、結果、生きた線に見えるんじゃないかな、と・・・。

このへん、ちょっと「人生」にも似てるような気がします。人生、生まれてから死ぬまで、ただただ長ーい線を引っ張ってるだけの行為かもしれません。どんな善行も悪行も幸せも不幸も努力も怠惰もとどの詰まりは線を引っ張ってるだけの行為。そして倒れた時、人生が終わった瞬間にそこに何が描かれているのかで、その線が、人生が、結果的に生きたものであったかどうかがわかるというような・・・。

力一杯、全力で引こうが、マイペースでゆるゆる引こうが、その向こうに描くべき目標があるからこそ生きた線、生きた日々があるのでしょう。

───なんてちょっと大仰な話になりましたが、そんなこんな言いながらも今、目的のない線を引く時ってのもあるなあ、と思いました。例えば電話しながらやってるイタズラ描き。あれは無意識にやってるんでしょうが、なんか自分であって自分でない独特というか純粋な線が引けてるような気がする時があります。

そういうのもあるから奥が深い。ああいう時って一切の我欲なく、生きてるとか死んでるとか超越した明鏡止水、悟りの境地みたいなもんに達した線でも引いてるんですかね?・・・うーむ、それも大仰かな。

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