アメリカでは、弱虫や臆病者のことを「チキン」と嘲ります。
鶏なんかが忙しなくキョロキョロビクビクと周囲を警戒する様からきてるスラングですね。その言葉から「チキンレース」と呼ばれるゲームがあります。欧米の青春映画なんかでたまに見かけるやつ。争う二人が崖っぷちなんかに向かって同時に車をふっ飛ばして、ぎりぎりまでブレーキを踏まなかった方が勝利者、という。つまりビビって早く止まってしまった方がチキン(臆病者)認定で負け、という意味のゲームですな。
思うに、人生ってこのチキンレースの繰り返しって気がします。あらゆるターニングポイントでこのゲームに勝ったり負けたりしながら、前に進んでいるような。今思い返すに、若い頃は意外とこのレースの勝率は高かった気がします。良くも悪くも何にも考えていませんでしたから。しかし、齢を重ねる毎に「恐れ」の感情が少しずつ芽生えてきて、徐々に勝率が落ちてきた気がします。
よく、生活が安定したり、家庭をもったりして守りに入るとそういう恐れが出てくるとは聞きますが、私ぐらいの年齢になると、そればかりでもないような気がします。病や死や孤独にリアリティを感じ始める年齢に入っていくこともあると思います。ここ数年は本当にこのチキンレースに負けっぱなしな気がしますね。
しかし、人生においてはこのレース、勝てばいいってもんじゃないというところが難しい。チキンだからこそ、危うい場面を回避出来たってことも往々にしてあります。いくらレースには勝っても、勢い余ってそのまま谷底に真っ逆さまで、大ケガどころか絶命するってこともありますから。だからといって我が身可愛さでいつも後ろの方でモタモタしてたら、その日の食事にもありつくことができなくなり結局は飢え死にしてしまいます。
踏ん張って勝つべきゲームとあえて負けるゲームを正確に判別できればいいのですが、これまた難しい。そういうのを見分けるのはある種センスなんでしょう、野性的な本能と言っても良いと思います。しかし、近頃の現代人はそういうのが衰えてますからねえ・・・。
──レースの勝ち負けもですが、最近日常で自分のチキンと向き合う場面が頓に増えてきた気がします。何かあることにビクビク、オドオド、ドキドキする自分に心底呆れ果ててしまいますが、こればっかりは死ぬまで直らないのかもしれないな、と思い始めています。そんな自分を「おーおー、このチキンがまたビビっとるわ」と笑いとばして許してやれるようになれば、一皮むけるのかもしれませんが、それもなかなか難しいものです。